挨拶と返を忘れた現代人
相変わらずというのも情けないが、代議士や企業の不祥に加えて日本相b協会、社会保険庁、防ナ省などなどjきな組E内での不祥がけさまに報Oされている。kどうなっているのかと`を戮い燭なるようなに愕とする。
これまでは組EがKいのだからといって組Eをどう建て直すかという議bが中心であったが、Z頃の不祥は組Eの構]よりも組Eを構成している人間そのものが劣化してきているのではないかとe惧される。親も学鬚蘯匆颪硴燭鬚覆ざりにしてきたけがvってきた。
さらに気になるのは、これらの不祥が内霍霹によって表沙Xになる場合がHいことである。たとえ内霍霹であっても、そのT果として食のWが維eされるならばそれはそれで喜ぶべきことかもしれないが、密告社会にはなってほしくない。こういったPがくと人間の本的な問にかかわるようなX況の出現に暗い気eちになっている。
これに関連して総合院の待合室で待っているときに気になることがある。筆vがよくW(w┌ng)する院だけの現(j┫)かもしれないが、O分の@iを}ばれても返をしない人が常にHい。返をしない人の男別やQ齢構成を荵,靴討澆討に徴はみられない。返をしない人の中には}を挙げてコミュニケーションをDろうとしている人もいるが、それ以外の人はダンマリをめ込んでのっそりと立ち屬るパターンがHい。Q人それぞれの考え(sh┫)があると思うが、それにしてもなぜこれほどまでに返をしない人が\えたのか。
{いときにOを少しかじったvとしては、礼に始まり礼に終わるのが当たりiである。最初の礼では「お願いします」と言い、終わりの礼のときは「ありがとうございました」とjきなmを出す。mを発することの_要さは喞瓦靴討發圓ることはないと思っているが、現在の社会ではjきなmを出す機会が少なくなってきているのも実である。}ばれて返をするのはmを出すよい機会であるにもかかわらず返をしないのは逆にもったいない気がする。もちろん、oのCiで奇mを発するのはb外であるが。
このような暗い気eちにさせられることがHい中で、kKの{涼剤ともいうべき、とても{々しい気eちになる場Cにも出くわした。路線バスの中での出来である。幼iサと思われるの子がお母さんに連れられて、あるバス停でワンマンバスの中央のTZ口からTりるときに、みきったハッキリした言で「ありがとうございました」と言ってTりていった。これに瓦靴乍Qの頃は30歳ほどの運転}さんが「気をつけてね」と間髪をいれずに運転席から答えたのである。このk瞬のやりDりにわれを忘れて無性に嬉しくなってしまった。の子は気負った様子もなく、きっといつものことなのであろう。そばにき添うお母さんの日ごろの躾が伺える。比較的{い運転}さんのその官もまったく申し分の無いものであり、久しく忘れていた{々しさを感じた。
聞きかじりで恐縮であるが、仏教の教えの中にお金を使わない施しがあるという。これを「無財のD施」というのだそうだ。
- 眼施(げんせ):やさしい眼差し
- 和顔施(わがんせ):笑顔
- 和語施(わごせ):愛語施(あいごせ)または言施(ごんせ)。優しい言
- 身施(しんせ):}伝い、抻邸現代風に言えばボランティア
- 心施(しんせ):思いやりの心
- 座施(ざせ):またはo座施(しょうざせ)。譲り合い
- 舎施(しゃせ):または房舎施(ぼうしゃせ)。気eちの良いもてなし
バスの中でのの子と運転}さんとのやりDりは、「無財のD施」でいうところの和語施そのものであろう。ある会社の社長さんが「無財のD施」を書いたものをYに入れて社長室に掲げているという。バス内だけの問ではなく、現代人が人間らしさをDり戻す_要なエッセンスがこの「無財のD施」の実zに含まれているように思える。いよいよ本颪凌雄燹∈Zの言でいえば人財が求められる時代に入ってきた。専門識だけではなく人格も磨かなければならない時期に来ている。そのT果として家庭、地域社会、企業、国がるくなり、本当のT味での繁栄があるのだと信じる。
代表D締役社長
禿 I史(かむろ せつふみ)