日本半導の二次再について――分社化に伴うe険性
2008Q10-12月期Qで、とうとうf国サムスン電子もCに転落し、盜颪離ぅ鵐謄襪よびテキサス・インスツルメンツ以外の半導メーカーはてCQとなった。に、もともと営業W益率の低い日本半導メーカーのCは深刻だ。2008Q通期で、東が2900億、ルネサステクノロジが1100億、NECエレクトロニクスが550億、富士通マイクロエレクトロニクスが700億、エルピーダメモリが1500億のQCを屬垢觚通しを発表した。
そのT果、2002Q以T、鳴りを遒瓩討い身焼業c再のニュースが、新聞・雑誌屬發錣垢茲Δ砲覆辰拭まず、東がシステムLSI業を分社化し、NECエレクトロニクスと経営統合する記が2009Q1月30日けの日本経済新聞に掲載された。この記によれば、NECエレクトロニクスは、富士通マイクロエレクトロニクスとも業統合を検討しているという。次に、エルピーダメモリが、湾{徳科\、晶半導、エルピーダと晶半導の合弁会社・瑞晶電子と統合を野に入れた交渉を進めている記が2009Q2月11日け日本経済新聞に掲載された。もし、これらが実現すれば、2000Qi後にきた再以来のj型再となる。
かつて、プロイセン(現ドイツ)の鉄p宰相・ビスマルクは、「愚vは経xに学び、賢vは歴史に学ぶ」と言ったという。今、再を検討している半導メーカーは、同じ圓舛魴り返さないためにも、垉遒虜瀞Sの歴史から、Hくを学ぶ要があるだろう。
k次再SのT果
まず、垉遒法△匹里茲Δ丙瀞が行われたのか?
1)1999Q12月、NECと日立作所がDRAM靆腓鯤社化して統合し、エルピーダメモリを設立した。
2)2002Q5月、@DRAM以外のLSI業を分社化して、NECエレクトロニクスが設立された。
3)2003Q4月、日立作所と菱電機がシステムLSI業を分社化して統合し、ルネサステクノロジを設立した。
4)2008Q3月、LSI業を分社化して富士通マイクロエレクトロニクスが設立された。
このような再のT果は、どうだったのか? エルピーダメモリは設立から2Q間、DRAMシェアを落としけた。2002Q11月に社長が交代しなければ消滅したかNECに吸収されていたに違いない。NECエレクトロニクスは、設立直後からCに転落した。かつて世ckに\臨したこともある半導売峭皀薀鵐ングでは、世c10位から転落した。ルネサステクノロジもパッとしない。設立直後の半導売峭皀薀鵐ングでは世c4位だったが、2007Qには8位まで後した。富士通マイクロエレクトロニクスに至っては、世c20位にも入っていない。
国籍別半導出荷Yで見ても、日本のシェアが\jする気配はない。また、営業W益率を見ても、2000Q以T、日本半導のW益率は徐々に低下している(図1)。すなわち、ミクロに見てもマクロに見ても、k次日本半導業cの再は、失`したと言わざるをuない。
分社化の問
このような再Sの歴史から、どのような教訓を学ぶことができるだろうか? 筆vは、kに“分社化”、二に“統合の仕機匹暴jきな問があると考えている。本Mでは、“分社化”についての問を、「日立と東」の比較から考察してみる。
日立と東。1980Q〜1990Q代にかけては、日本の半導、というより世cの半導を\術で牽引する双頭であり、良きライバルであった。ところが、2000〜2002Q、DRAMからした後、両社にはjきな差がついた。東はNANDフラッシュでj躍進した。k機日立の半導のlであるルネサステクノロジおよび(社長交代iの)エルピーダメモリに、かつて東と々発Vとやりあった\術楾颪C影はない。k、この差は、どこで擇犬燭里世蹐Δ?
ここで、課を単純化するために、次のような問を考えてみよう(図2)。100人の\術vの組EAがあって、100の攵掚(例えば\術開発の成果など)を擇鵑任い燭伐渉蠅垢襦この組Eを、真っ二つに割って、50人ずつ二つの組EBとCにしたとする。こうした後に、組EBが擇濬个攵掚と、組ECが擇濬个攵掚の合は、100になるだろうか?
日本半導噞のk次再のT果から類推すると、峙の答えは、BとCが擇濬个攵掚の合は、100にはならないということだ。
実際に、日立の半導は、設陝▲廛蹈札抗発陝攵\術陝△よび営業陲覆匹鮨燭弾鵑弔吠して、日立本から切り`し、片気鬟┘襯圈璽瀬瓮皀蠅箸掘△發κ気鬟襯優汽好謄ノロジとした。NECも同様に、真っ二つに割って、片気鬟┘襯圈璽瀬瓮皀蝓△發κ気NECエレクトロニクスとした。そのT果が、iIで述べた通りの惨Xである。
k機東は、半導を基業として社内から切り`すことはせずに、峙のようなjナタは振るわなかった。このような差が、その後の暗を分ける原因になっているのではないか?すなわち、半導の\術は、kつのあるまとまった組E内に暗黙瑤箸靴瞳狙され、pけMがれるような性格があるのであろう。したがって、ある組Eを、無]作に分すると、これまで長いQ月かけて形成されてきた組E的暗黙瑤破sされてしまうと考えられる。
コンソーシアムの問
このような例はコンソーシアムにも見てとれる。図3にすように、1990Q以T、日本には、U後の筍のごとく、H数のコンソーシアムが設立された。しかし、日本半導のシェアはk向に向屬垢覽で曚呂覆ぁ
シェアが低下する、だからこれを食いVめるために、H数のコンソーシアムを作った。しかし、実際は、コンソーシアムを作れば作るほど、シェアは低下すると見ることもできる。
コンソーシアムをkつ作れば、半導メーカーは、\術vを数何模で出向させる。そのT果、半導メーカー本は、コンソーシアムを作るほど、\術vが少しやせ細る。そのT果、半導メーカーの組E内に形成されている暗黙瑤蓮⊇々に削りDられていく。また、日本で見れば、\術vを、あちらこちらに分gさせていることになる。そのT果、iIで日立と東の比較で見たように、日本半導の争が低下することになるのである。
湯之嵶